読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジーズアカデミー戦記

G's ACADEMY TOKYO でプログラムを勉強してます。もちろんブログは非公式です。

お金をはらってプログラミングを学ぶのも悪くない

この記事は「ジーズアカデミー Advent Calendar 2015」17日目の記事の可能性があります。

プログラミング学習ビジネス

昨今いろいろなメディアで「プログラミングは重要だ」などと言われていて、様々なプログラミング学習サービスが目につくようになった。ドットインストール、Code academyは言うに及ばず、codecampにTECH::CAMP、僕が行っていたG's ACADEMY TOKYOのようなskype経由やオフラインでの教育サービスも定着化してきたように思う。

やはりアメリカでも数年前からこのような学校はバブっているようで、数ヶ月でWeb開発の教育をし就職指導まで行う Bootcamp はその高額な授業料にもかかわらず定員の10倍以上の応募があり、就職した卒業生の給与もとんでもなく高額、でも最近ではやっぱりネガティブな面もみえてきただとか云々かんぬん…色々な噂がながれてくる。

無料で学べますよね?

話は変わって少し前に話題になった記事が引っかかっている*1。内容については本筋ではないので省くが、書かれた方は最近プログラミングスクールで17万円だかをはらってRuby on Railsを学んだ方だった。この記事についたブックマークコメントを読んでいたところ、こんな意見がチラホラとみられた。

17万円も払うのか…

といった種のものだ。僕にはこの言葉が引っかかっていた。それは純粋な驚きだったのかもしれないし、そんなのにお金を払うのかよという嘲笑を込められていたのかもしれない。いずれにしても「自分はそんなことはしない、もっと安く学べるのに…」という気持ちはあったと思う。そしてそれはかつての自分の考えでもある。

ただ G's academy を卒業した今の僕はすっかり考え方が変わった。個人としてそれなりに大きな金額をはらってでもプログラミングを身につけようとしているその人に素直に尊敬の気持ちを持つことができる。なぜか。その手がかりに僕が今年の4〜10月までG's ACADEMYで起こったことを記したい。

起業/転職/コミュニティ

  1. スタートアップが生まれた
    受講生の何名は素人といっていいところからWebサービスを公開するところまでこぎつけた。そんなエピソードはネットではありふれているかもしれないけど、そのプロセスを実際にこの目でみたのは僕は初めてだ。

  2. 転職が決まった
    他職種からエンジニアになった人、SI業界からWeb業界へいった人など様々だが何人もの生徒が転職を成功させていた。これは必ずしもスクールのおかげとは言えないがまるで無関係だったとも思えない。

  3. コミュニティがうまれた
     年齢とか社会的属性だとか個人のバックグラウンドを離れて、ただ高い意識を持った人が集まった場というのはとても居心地がいい。一緒に勉強会にいったりカフェで集まってモクモクしたりなんてこともある。そういうことがきっかけで、自己学習の習慣がついたなんて人もいた。

それこそお金を使った分だけ、肯定したいバイアスがかかっているのかもしれないし、そもそも決して全てが良かったわけではない。上記の話も優秀な彼らのことだから学校を通さなくてもいずれは目標を達成しただろう。でも学校で学んだことでその速度を早めたのは間違いないと思う。

知識の伝達にお金をはらうわけではない

Webプログラミングはその多くのリソースはWebにあって、先にあげたようなオンライン学習サイトもあればGithubだってある。勉強会だって東京に限らずいろんなところで開催されている。でもそれはただの道具立てであって、それだけで人は「できる」ようにはなるのは難しいし、仕事も仲間もみつけるのも簡単じゃない。ニートだけど独学でサービスつくった〜なんてのはやっぱり特別で例外的なことなのだ。

G'sの生徒の多くは今回のことで一歩前に進んだり、3歩くらい進んだかな?なんて人もいたと思う。この事実を軽んじるべきではないと思う。個人で無料で学ぶことはもちろんできる、それは賢い選択に見えるし、リスクだって少ないように見える。

でも本当にそうだろうか。

その時考えるのは、あくまで知識の授受の問題だけで、場のちからで自分の気持ちを高めたりというところまでは考慮されていないのではないか。だからかつての自分のように「端からない」と決めている人はもったいないと思う。もしくすぶっている人がいるのであれば、一度スクールに通うという選択肢も考慮してみてほしいと思う。


( おわり)

*1:Ruby on Railsはプログラミングではない!!』というもの。既にブログは閉鎖された様子

プログラミング学習のコスパ問題

実は最近、某所で大学生を相手にプログラミングを教えている。といっても僕自身はTA的な立ち位置であって講義中に学生が困ったときにサポートしてあげるくらいの役割だ。受講者は就活がせまった大学生で主に文系、経験者もかなり少ない。2〜3ヶ月でHTML/CSSからPHP&RDBを簡単に使えるようなところまで持っていくようなイメージだ。

 

ちょうどカリキュラムも後半に差しかかった先日のことだ。運営サイドから数名の学生がリタイアしたという話を耳にした。理由は様々なのだけれど、その中の1人が言うには、

 

「これをやっていて何が得られるだろうなって思って…」

 

だそうで…。聞いた時は「はぁ〜、若者に流行りのコスパ論かよ〜」とヤレヤレと思いつつ、と同時に「とても理解できる感情だよな」とも思ったのだ。僕だって少し前まで同じように感じていたけど、やらなければいけない状況があったから乗り越えられただけなのだ。いわばタイミングの問題ともいえる。

 

「そんな風に感じる奴はプログラミングにむいてねーわ」なんて考える事をやめる風潮もあるようだけど、僕には到底言えないし思わない。受講者の大半は起業家やエンジニアになりたいということではなくて「就活で役立てられれば」という人達なのだ。そんな彼らであっても取り組みを通して「プログラミング楽しい、やってよかった、エンジニアもありだな」と感じてほしいと思っている。こういう小さな取り組みが結局のところプログラマーへの理解を深めてもらうとか地位向上とかに繋がるのだと信じてもいる。

その上でうまくいかなかった彼/彼女になんて言ってあげればよかったのだろうか、この数日考えたところ

 

「結局のところプログラミングを学ぶのはコスパがいいぞ」

 

ということなのかなという気がしている。先に就活で役立てたい学生と書いたが、彼らは同時に流行っているから学んでみたい・教養として知っておきたいという志向もあるのだ。これだけ多くのメディアが「プログラミング必須の時代だよね」「普通わかるよね」「優秀な人は文系でもやってるよね」みたいなメッセージを発信していれば、そう考えるのも普通だと思う。

 

でもやっぱりプログラミングを「知ってたらいいよね」ということを超えて「技能として身につけられる」ならば、もっと違う未来が見えてこないだろうか。もし彼/彼女らが困ったとき、例えば就活がうまく行かなかったり、事故や出産で会社勤めができなくなったり、苦しいだけの職場に直面してしまったとき、最悪1人でも技能を売って、あるいは技能で生み出したものによって生きていくという選択肢につながりはしないか。他にもそういったものはあるだろうけれど、仕事の量や学ぶ手軽さ(すなわちコスパ)で言えばプログラミングはベストの一つなのではないか。 

 

英語も大事ですが、個人が英語のスキルを身につけるとレベル10になるところを、プログラミングだったら同じコストを費やしても、レベル100、500、もしかしたら1,000以上にもなる可能性がある、と個人的に思っています。

プログラミングは最も“おトク”な習い事― ドットインストール 田口元氏の挑戦。[1] | CAREER HACK

 

こういうことも伝えられていたらと考えている。もっともこの「コスパ」はやや広義の視点であって「目の前のコスパの悪さ」というのはある。実際前述の学生は、解決方法がわからないで何時間もPC画面に向き合うことがツラかったのだろう。そんな思いをして気持ちが離れてしまったのだと思う。前に「何にもならない20時間」という記事を書いたけれど、この時間を他の勉強しておけば、誰かと交流しておけばとつい思ってしまうものだ。

 

この点については、学びながら「それがプログラミングの学び方なんだ」と個人で感覚をつかみとってもらうしかない気がしている。そう気づくまでに脱落させないこと、色んな意味での楽しさを感じてもらうことが重要になるだろう。"そこまでする必要があるのか"と問われるならば全く必要ないだろう、でもそれはきっと楽しいことだ。

個人開発という夢

先日、ありがたいことに縁あってリクルートが運営する TECH LAB PAAK の3期の説明会 & 懇親会に参加してきました。期の始まりということで参加プロジェクトの紹介があったのですが、「あぁ、世界はいまこうなっているのか」という納得と驚きを強く感じました。

 

おそらく7年くらい前でしょうか、Webの世界には夢があったと思います。

 

もちろん今も、いや今のほうが夢であふれているとも言えます。ここでいっている夢というのは「頑張ってiOSアプリ作ったら一儲けできる」「アイデア勝負でWebサービスつくったら思いのほかユーザーが集まった」というような無名の(多少の技術力をもった)個人がスターになる・世界を変えるというような類のはなしです。

 

当時は世界を変えるようなサービスを作るのは世界的に有名な大学で情報科学を学んだハッカーみたいな人というイメージでした。私も多数のGoogle本を読んでは「桁違いに地頭のいい連中なんだな」などと思ってました。そしてもう二十歳を超えていて身の程がわかっていましたし、「スーパーな人材になることを目指す!」なんて思えるほどの純粋さも若さもなく、ただ同時に「自分もこの世界でなにかを成し遂げたい」という思いだけは捨てきれずにいました。だから個人開発者が活躍する「夢」は一層魅力的に見えたのです。

 

「いつか自分だって」

 

他にも私のような思っていたワナビーは少なくないのではないでしょうか。しかし瞬く間に技術力・資金・経験を兼ね備えた企業群が参入し、無料でも楽しめる高品質なゲーム等がアプリ市場にあふれました。ユーザーの目も肥え、素人が活躍するなんて話は現実的でないものとなったように思います。

 

そして時代は進んで2〜3年ほど前になりますが、多くの有名スタートアップを排出しているインキュベーションプログラムに潜入取材した『Yコンビネーター』の翻訳版を読んだ時のことを思い出します。

 

先ほどGoogle本について触れましたが、これを読むとYコンビネーターに参加するような方々というのはGoogleFacebookから内定もらうようなハッカーがいるのは前提で、さらにそこに新規の事業について多くの人を説得していけるだけの事業開発ができる営業がセットになっているようです。世界を捕る可能性を秘めたソフトウェア作りは一層進化し、かつての<夢>の世界は今は昔といったものになったように思います。

 

そしてTECH LAB PAAK

 

私の理解不足も手伝ってうまく説明できませんが、参加するプロジェクトの内容・メンバーは漏れ無くスーパーな人だらけです。あまりにハイスペック人材があふれていて目立たない、そういう世界です。そしてチームはハッカーと営業の2人なんてところは少なくて、もう少し大きくUX/フロントなどの専門を置いているところも少なくありません。技術的にも機械学習やIoTといった領域が「これから学ぶ分野」ではなく「これから有効にプロダクトに利用していく」ステージに入っていることを気付かされます。

 

つまり必要となってくるのはサービスを構想して、強力なメンバーを集めて、新しい技術を次々と取り込み、さらに実現する情熱と実行力。

 

ある意味とても夢があって同時に夢がない世界です。

 

そんな世界で夢を見るとすればどうすればいいのでしょうか。基本的にはやりたいことをやればいいだけではありますが、G's Academy のメンターでもあるBASEの藤川さんがブログにてこんなことをおっしゃっています。

 

僕が審査員やメンターをやってるところに参加している人は、どちらかというとガチエンジニアではなく、理想を言えば、家入さんタイプの、技術はあくまでも実現のツールとして学ぶべきで、それぞれの人生経験に基づく、知見やセンスを使って、それまでのガチエンジニアではできない、新しい組み合わせをうまく作った人が大成するという方向に行ったほうが良いと思っている。

 

例えばセキュリティ問題などは、最初こそユーザが少ないので、現実問題として大した問題にならないが、一定の存在感が生まれてくると事業に大きな問題になるからこそ、専門家が助けるという流れになる。同じくスケーラビリティや技術の拡張など、さまざまな問題を担う人材は重宝される。G’s Academyのメンタリングでも技術を深掘りするよりも、とにかく前に進むことを推奨している

コモディティ化するWeb周辺の技術をどう乗りこなすか | F's Garage@fshin2000

 

この世界の中で弱者が何かを成し遂げたいとすれば、これまでの己の人生を信じて表現すること、そして助けてもらえる自分であることくらいなのかもしれません。 

 

はてなの小説投稿サイトやらにやたら期待してしまう

どんなのかよく分かってないですけどね。ただ勝手に期待しています。

先日ちょっと話題になって記事でこんなものがありました。

gendai.ismedia.jp

こちらもよく分かりませんが、私の実感としては「電子書籍はそんなに・・」といったところです。たしかに便利ですし長時間の空旅などでKindle端末はまったく重宝しました。ただ普段使いとしては、あまり意味がないものだなとも感じています。

 

私も「趣味は読書ですかねー」とは時々口にするのですが、簡単なものしか読みませんし量で言えば年間30〜50冊程度でしょうか。いわゆる「趣味が読書」という人も大半は似たようなものだと思われます。話題作を読む程度という人なら年に高々10冊といったところではないでしょうか。

 

それくらいの読書量だと、わざわざ電子書籍を買っても、その”場所がとらない”とか”すぐ手に入る”というメリットってあまり享受できないんですよね。大量の本を保管する必要もないし調べ物しててすぐ欲しいってこともないし。

 

時々言われてるように「安かろう、悪かろう」というのもその通りだと思います。それは言い過ぎだとしても電子書籍を買うメリットは薄いです。ただ既存の紙メディアを電子化しただけだったりしますからね。もしこれがこんな感じだったらもっと読みたいというのはあります。

 

例えば「50ページだけど価格抑えめな書籍」などどうでしょう。電子媒体であればパッケージのくびきからは逃れられるはずです。ポップスの1曲の長さが5分くらいなのはメディアで記録できる時間が〜的なやつです。

 

10年ほど前から爆発的に出版数が伸びた新書なんかはどうみても粗製濫造感が漂うものがあります。最近の朝日新書でも度を越して文字の大きなものが出版さていましたが、他でもページ数の水増しのためか、本質から離れた不要な話題が長々とかかれていたりといったことが見受けられます。これを駆逐できないかなと。しっかりと編集された50ページにまとめてくれて300円とかだったら是非購入して読みたい所あります。

 

このように、読まれるメディアに合わせてパッケージとかコンテンツ自体も生み出していかないといけないんじゃないかなと考えています。8年前くらいでしょうか?ケータイ小説というものが流行しましたが、場に適した内容や構成というものがあるはずです。そういう新しい提案がプロバイダー側ができていないから、電子書籍も今ひとつなのかなと思うのです。

 

で、やっと冒頭に話がもどりますが、そういう意味でも先日発表されたはてなの小説投稿サイトにはかなり期待をしています。「何かネット文化とあいまって新しいモノが生まれるのではないか」そういうワクワク感を一方的に感じているのです。

kaku-yomu.kadokawa.jp

 

ユーザー層が従来の小説家志望ではなく、ちょっとブログとか書いていて小説もいいかな?なんて思っている人が参入しだすと面白いですね。もしかすると大衆にこびたお手軽自己啓発みたいなジャンクなものになってしまうかもしれないけれど、それでも読書とか本の世界の裾野が広がるならスゴいことだし、文芸評論家や作家などの文学者や一部の書店員が独占しているようにみえてしまう小説にたいする評価みたいなものが、読者の大衆の元にくるのではないかという期待があります。

 

結局のところ始まらないとどんなものになるかはわかりませんが、妄想を膨らませてワクワクしてしまいます。

僕はあきらめが悪い

サービス開発が佳境に入っている。

 

以前のエントリで一つ課題を解決すると二つの新たな課題がふくってくる状況を嘆いた。状況はたいして変わっていない、今月末のデモデーまでにサービス公開できないことはほぼ確定している。

 

正直申し上げて、これまでは「間に合わない」とか弱音をはいておいて最後は間に合わせるという心づもりでいた。”油断させた上で同期の中で最速で公開してやるんだ”と。プロダクトの質はともかく、スピードだけは狙っていた。残念ながらその企みも失敗に終わりそうだ。何がツライかって「今日はここまでやろうっと」と思って始めても1週間たっても終わっていない。とにかく進捗が恐ろしく悪く、僕だけでなく他のジーズアカデミー生もそんな感じだったようだ。だから悲惨なデモデーが待っているな、、と僕はすっかり悟りの境地にいっていた。

 


ところが、だ。

 


今日、なぜか遅れを3日ほど取り戻すような進みをみせた(それでも到底間に合わないが…)。一緒に開発していた他のジーズ生も「今日一気に進んだんですよ!諦めてたけど、なんとかなるかも!!」などという。実際、厳しいかなと思っていたメンバーのプロダクトもかなりの出来栄えになってきているも確認できている。

 

”そうか、ついにやってきたんだな…”、僕はアレの到来を予感した。

 

直前力の発動だ。

 

テスト勉強でも仕事のプロジェクトでもそうだが、「計画的に」進めているつもりでもどこか「まだ時間あるし」という甘えた期待があって、それが彼・彼女の真剣さを損なわす。しかし直前期にはいった途端、これまで取り組んできた結果力がついてきたとか、ゴール地点が見えてきた所で必要な取捨選択がやりやすくなったりというのもあって、劇的にスピードが早まることがある。今ちょうどそんな状態にはいってきた気がしている。(勘違いでないことを祈るばかりだ)たぶんこの感覚はこれからの数週間加速していくと思う。

 

arrown-blog.com

 

やりきったら、きっと違うステージまでいける。だから僕は諦めないし、みな諦めていない。

 

最高の土曜日だ。

丸香のうどんを食べたらすごかった。

一昔前「鬱屈した感情こそが想像力につながるのだ」と信じられた時代があった。端的に言えば「モテない」などの劣等感やそこからくる無力感や怒りなどそういうものが芸術的な表現力を喚起するのだ等といった類の言説だ。

 

それ自体は今でも世界の真実にせまる有効なフレームの一つだと思う。否定しがたい。しかしその質を問わず人間の「表現したい」という欲求に限定するならば、そういったネガティブな感情よりも、もっとポジティブなそれがトリガーになりやすいと思っている。

 

例えば昨年、映画『インターステラー』を見た時の衝撃といったらなかった。アレを観て単に面白いとなんて思っていられなかった。。

 

こんな…こんなもの作りやがって!!!!ちくしょう!!!

 

インターステラー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産/3枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]

インターステラー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産/3枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]

 

 

こんなにもメジャータイトルで大衆に媚びながら、一方で全く媚びていない。既に評価の定まったSF小説の焼きましでない新しさの提案。。。。僕はすっかり打ちひしがれてしまった。そして同時に

 

自分も何かやらなければ!!!

 

僕はインターステラーのもつ「凄さ」に感染するかのごとく何か表現しなければならないという焦燥感に囚われたのだ。

 

まぁ、結局のところ何もしなかった…

 


話は変わって今週のことである。


ジーズアカデミーはその出自というか、基本デジタルハリウッド大学なので、ジーズ生はデジハリの施設をいくらか利用させてもらうことができる。僕は昨日・今日とお茶の水の施設を利用して個人開発を進めていた。作業が一段落ついて「小腹がすいたな…」そう思った僕はあることを思い出した。

 

himasoku.com


普段はお茶の水に来る機会なんてめったにない。この機会に僕はずっと行こうと思いながら実行していなかったことをしよう。そう思った僕は東京最強のうどん屋『丸香』に行くことにしたのだ。一口たべて身体の中に閃光が走った。


ーーーーーーー。


意味がわからない。あまりの美味しさに僕は正気を失っていたと思う。これは決して過剰な表現ではない。「美味しい」という感覚は「感覚」ゆえに、なかなか言語化することが難しいのだがこれだけは言える。

 

本当に美味しいものを食べたら「あぁ、、美味しいとはこういうことなんだ…」そう心底思える。

 

そして丸香のうどんは間違いなく「それ」だ。僕が知っているうどんと同じカテゴリにありながら、それの延長線上にないものだった。そしてそのインパクト故に僕は「美味しいと叫びたい」その表現感情を抑えることができなかった。

 

そして今では自信を持って言える。

 

僕の好物はうどんである、と。

 

tabelog.com

【G's ACADEMY】メンタリング期間についての私的なまとめ、及びより良い活用方法について

もうすぐメンタリング期間終了

ジーズアカデミーと他のプログラミングスクールとの違いとして最も大きなことは、現役の著名なエンジニアからメンタリングをうけて個人開発ができることだ。第一期はBASEのえふしんさんやカヤックの中農さん等、あまりWeb界隈に詳しくない僕ですら耳にしたことがあるような豪華なメンバーが名を連ねている。

メンター/サポート企業|ジーズアカデミーTOKYO|エンジニア・プログラミング専門スクール(学校)

スタイルとしては基本的にオンラインで決められた1人のメンターと(常識の範囲内で)自由に質問・相談のやりとりができるというものだ。期間は約2ヶ月でそろそろ終わりに近づいている。

■ 良かったところ

だからまだ終わってはいないので結論は早いのだが、それを前提で今感じていることをまとめておく。この期間で得られたものは色々あって、1人でやっていては気づけなかったことが多い。たとえば企画したサービスを再検討するという段になったとき「どういう基準やメソッドで考えればいいか」を示してもらったり、技術選定の部分でメリット・デメリットを教えていただいたり、実装方法で迷った所に具体的に方法を教えてもらったり、気持ち的に背中を押してもらったところもあった。知り合いにエンジニアがいる環境でないとまずできないであろう体験が得られたことはかなり貴重であった。

うまくいかなかった部分

ただ開発が進むにつれ連絡頻度が少なくなってしまい中々うまく活用できなくなっていったのは残念だった。原因はシンプルに「オンラインで質問するのはする側もそれなりに負担」ということがあげられると思う。当然のことながらメンターはいつも隣にいるわけではない。だから基本的には文字情報でやりとりをするのだが、細かな技術的な相談をしようにも、「具体的に何をしようとしていて、何でハマまっているのか」という説明をするのが難しい。ひどい話だが、そもそも自分自身がよく分かってない場合も多いのだ。そうなると結局「説明するのも大変だから自分で頑張る」となってしまうことが何度かあった。

では、どうすればよかったか

メンタリング期間の利用目的はそれぞれだ。例えばすでに開発力のある人は2ヶ月かけてみっちり企画案を練り上げるだけにして、その後自力で作るというのでも悪くないと思う。ただ、もし個人でそれなりのプロダクトを作り上げるというところをゴール地点にするなら、「こうすればよかったな」と考えていることがある。それは

メンタリング期間前にプロダクトを作っておく

ということだ。「いや、それができないからメンタリングなんだろ」というご指摘はもっともなのだが、この「作っておく」は60%くらいまでは作っておくということを意味している。できないところは飛ばすなり、簡易的な方法で代用するなりしてなんとかそれなりの形に仕上げておくということだ。結局どんないい環境があったところで、0から1とまではいかなくても0.6くらいまで持っていくのは個人の努力でしかない。その期間は孤独で質問とかじゃない。これは誰にも教えられないことだ。*1

だからそのステージまでは自力で持っていく、その上でGithubなりそれに類するサービスを使ってコードを共有する。ここまでできれば、聞きたいことがあるたびに前提から細かく説明しなくてもイメージが伝わりやすくなる。その上でコードレビューなりUI改善なりセキュリティやインフラについてなど闊達なコミュニケーションができるはずだ。

 

結局「どうすればよかったか」について「できるだけ早く準備する」という恐ろしいほど意味のない結論になってしまったが、今のところはこう考えている。トータルでは満足しているのだが「よりよく活用するなら」ということだ、念のため。今後ジーズアカデミーに取り組む方と参加を検討されている方々の考える材料になれば幸いである。

*1:当たり前のことだが最大の学びだった