読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジーズアカデミー戦記

G's ACADEMY TOKYO でプログラムを勉強してます。もちろんブログは非公式です。

読書と読書家と想像力

ネット記事の感想文

fujipon.hatenablog.com

「なるほどな」と思って。

ひとくちに「読書好き」といっても「本屋大賞いいですよね!」という人もいれば「ヴィトゲンシュタインを原著で読んでます」なんて人もいるだろう。ジャンルだって歴史小説もあれば物理学書もあって幅広い。また同様に「コミュ力」というのも「場を盛り上げる雑談が得意」というのから「ビジネスシーンで適切な情報伝達ができる」なんてのまであって人の数だけ認識があるのではないだろうか。少なくともその尺度についての合意はないだろう。

コミュ力はともかくとして、僕はずっとこんな風に思っていた。 

読書は想像力を涵養する

「思っていた」というより「そうあってほしい」という信仰だったように思う。読書って「自分とは違う立場の誰か」に思いを馳せたり、「知らないフィールドについての知識を教えてくれる」ものだったりするからそんな気がしていたのだけど、やはり違うということが年々わかってきた。

 僕自身が、いままで本を読んできて知ったことは、2つしかありません。

 ひとつは、世の中には、いろんな人がいる、ということ。

 いろんな人がいることはわかる。でも例えば日本中の人が集まる東京ディズニーリゾートに行けば、普段の生活では絶対にみないタイプの人がいて…。あるいはNHK ドキュメント72時間なんかみていてもそう。読書好きなつもりでも、そこへの想像力はなかなか広がっていかないし、地理的に遠くはなれた場所での出来事・違う時代の人についてとなるといわんや推して知るべし。読書好きな人でも暴力的な発言してるな〜なんてことも多くて「想像力を涵養」だなんてナイーブな物言いは単純にできない。むしろそう思うことが危険なのでは?とすら思う。

id:fujiponさんはこうも言っている

本ってさ、読んでいるとなんだかちょっと自慢げな気分にはなるんだけど、この世界に存在している本の総量を考えると、10冊も1万冊も、そんなにたいして変わりないんじゃないか、と思うんですよ。

全くその通りで。結局のところ「読書家」なんてのは読んでいる本の量じゃなくて態度の問題じゃないかなという気がしている。本だけじゃなく花の匂いとかコンビニでの何気ないやりとりとか、そういうものから何かを感じよう・想像力を持ちたいと思う態度なのかなと。そう捉えればコミュ力の話も想像力の持論もいくらか説明つく気がする。

これからも結論はでないだろうが、もしなにひとつ言えるとしたらこれだろうか。

本当の読書好きは「読書の力」を信じていない。

どうだろうか?

文庫 ヘッセの読書術 (草思社文庫)

文庫 ヘッセの読書術 (草思社文庫)