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ジーズアカデミー戦記

G's ACADEMY TOKYO でプログラムを勉強してます。もちろんブログは非公式です。

自己啓発化するプログラミング

プログラミング業界?がとても盛り上がっているように見える。業界の枠を超えてその重要性や学ぶ意義なんかについて喧しく論じられている。ある大統領は国の未来のために必要だといい*1、ある起業家は事業起こすなら「MBAよりも、プログラミング」だよねと主張し、どこか説得力がある。

一般の書籍なんかでも日々そのプレゼンスを増しているように見える。松林 弘治『子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい 』(角川、2015)はあまりに露骨だが、新書でもそれをテーマとしたものがポツポツ出始めているし、一部では義務教育化なんて話もあって単なる与太話の枠を超えた現実感がでてきている。そこまでいかなくても既に国内外でオンライン/オフラインを問わずプログラミング教育サービスが広がっていて、やりたいと思った人はPCと通信環境さえあればかなりの低コストで初められるようになっている。

こういう状況において、個人としてそれを語るときとても自己啓発的になっているようだと感じている。自己啓発的といってしまうといろんなイメージがあるが、要は「英語みたい」だという意味で言っている。いわゆる自己啓発の定番で「身につけて海外で活躍したい」「できれば可能性が広がる」「就職活動に有利」とどこか曖昧な夢というキーワードと結びついた語られることが多い印象のある英語に似ていると思うのだ。その語り口がだ。実際「億万長者」だとか「人生が変わる」とか「世界を変える」とかいった夢ワードと一緒に語られていて、ITと英語をセットにした留学サービスなんかも非常に目につくようになった。

思うのは、英語もプログラミングも現在の自分の延長としてイメージしやすいのかなということだ。どちらも知識というよりは技能なので、難しい概念を理解したり大量の知識をつめこまなければならないというイメージがない。別に英語を話すのに宗教や世界経済の知識がなくてもいいし、プログラミングをするのに難解な数学の知識は必要ないだろうと。だから自己変容後のイメージが変化していくというより、現在の自分+α(英語が話せる/プログラミングができる)となる。下積みがそんな必要でなくて、これまでさほど勉強してこなかったとしても、今からでも身につけられて可能性をひろげてくれるツールであるかのような響きがあるのだ。

別に何も悪いことではないし、どうということでもない。ただこういう夢みたいなものはビジネスのターゲットになりやすいし、今後もそれを煽る言葉がもっと出てくるだろうなと。そういうのに振り回されないで、見極めていきたいなと思う。