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ジーズアカデミー戦記

G's ACADEMY TOKYO でプログラムを勉強してます。もちろんブログは非公式です。

意識を低くするという成長戦略

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『エンジニアとしてコモディティ化しないよう一生勉強してサバイブします!』

IT系エンジニアによる勇ましい態度が苦手だ。曰く「近い将来エンジニアはコモディティ化する」「10年後に生き残るためには必死で勉強しなければならない」「一生コードを書いていたい…」、強い言葉で自身を奮い立たせている分には構わないが、その意識の高さが他人への攻撃へ転化されるとやっかいだ。かつてのSIer ディス、技術力が高くないエンジニアを無能だなどと強い口調で否定するのには辟易したものだ。

最近は攻撃的な物言いはいくぶん落ち着いたように思うが、それでも意識の高い言説は以前にもまして盛り上がっているように見える。エンジニア系メディアには毎日のようにTech企業のCTOや海外で活躍する日本人なんかが立ちかわり登場し、これから学ぶべき技術領域、考えるべきキャリア選択なんかについて各自の見解を述べている。

誰もがCTOにはなれないし、ビリギャルにもなれない

僕自身そういうものを好んで読んでいるのだけれど、最近は"どこか息苦しい"と思うことが多くなってきた。というのもある種の成功者の言葉というのはエナジードリンクみたいなもので、一時的に気持ちをアゲてくれるものの、すぐに自分は彼/彼女ほどは頑張れないし才能も体力もないという現実に気付かされるからだ。

技術が大好きなHackerにはたぶんなれないし、ビリギャルよろしく圧倒的な努力によって潜在能力が引き出されるなんてこともない。彼らの高い思考/行動基準をそのまま受け取るには齢を重ねすぎてしまったのかもしれない。では"エンジニアとして独り立ちしたい"だとか"成長したい"という気持ちがないのかっていうとそれも違う。

 意識を低くする

だからメディアに出てくる優秀な人とは違う自分の言葉や戦略が必要なんだと思っている。それが僕が提案したい「意識を低くする」という成長戦略だ。ここでは便宜上「意識を低く」とするが、これは昨今のエンジニア語りに横たわるマッチョ思想に対するカウンター表現であって、力を抜きながら自分のペースで成長していこう!というポジティブ戦略のことだ。たとえば次のような考え方や行動群を指す。

 | 1. 本は全部読まなくていい

勉強の基本は読書ということで、ネットでは選書リストが多くのブクマを集める。自分も読まねばと思って挑戦はするのだけど、技術書はエンタメ小説のようにスラスラいかない。だから最初の50ページで挫折するなんてこともままある。そんな時は50ページ分の勉強になったと考えるようにしている。

ドキュメントには書いた人が大事だと思うことしか書かれていない。

勉強が出来ない奴はプログラマになれ!(バカだからできる勉強法) - IT戦記

本を読むこととは、その本を読んだことに費やした時間の間、その書籍のテーマについて考えを巡らせることではないか

インターフェイス指向設計 - naoyaのはてなダイアリー

本は"学ぶべきもの"と"自分"を媒介するものであって、その本を読むこと自体が目的ではないはず。なぜ読めなかったのは振り返る必要はあるかもしれないけど、読書によって得ようとしたものに少しでも近づけたか否かを判断基準にもつべきだ。

 | 2. 目的を持たない

「目的がはっきりしていると成長が早い」とはよく言われることで、僕もそういう場面を何度か目にしたし正しいと思う。ただし適切な目標が設定されていること、到達できるポテンシャルが本人にあることが前提ではある。というのも「できたらいいな」という理想までの距離が現実から遠すぎると、その落差を乗り越えられずにやる気がなくなってしまうからだ。ネットで記事を読んでいると「自分もこんなふうにスゴくなれるんじゃないか」と思ってしまいがちだが、そういう時は例として"なぜ自分はハーバード大でも東大でも行かなかったのか"を考えてみればいいと思う。これまで頑張れなかったのに、突然スーパーなエンジニアや起業家のように頑張れるなんて話はそうないだろう。であればそこまで頑張りきりれない自分を見越して、最初から目的をもたないというのもアリだと思う。むしろ能力的な指標でなく習慣化することを目的にする。そっちのが精神衛生にやさしい。力がついてきたら現実的な目標を設定すればいいのだ。

 | 3. 世界を見ない

ネットではITにかぎらず「世界」の話は大人気だ。やれシリコンバレーで働いている日本人の話だ、世界にはこんな新規的なサービスがあるのだと刺激的な話が多い。そこに飛び込める状況にあるなら素晴らしいことだが、でも世界を見つめすぎるのもまた良くないと思ってる。それは上記2の意味でもそうだし、世界はスゴイと言っている自分自身はまったくスゴくないのだから。日本語で書かれていて読んでいない名著も身についていない知識も山ほどあるはずだし、すごいエンジニアもおもしろいサービスも日本にだってたくさんあるはず。だから僕は世界は一度脇においてしまっていいと思ってる。

 | 4. 課題を解決しない

先日KDDIムゲンラボさんのデモデーにいったときに思ったのが、サービスの意義みたいなものについて、あまりに定型的にとらえすぎていないかということだ。Webを中心としたサービスを作る際に何故か"ビジネスや社会にこんな課題がある"→"それを自分のサービスが革命的な手法によって解決するのだ"という流れになってしまう。

ga-chronicle.hateblo.jp

はっきりいって社会やビジネスの課題解決なんてどうだっていいと思う。今は起業やサービスの立ち上げが「誰が優秀なやつかゲーム」になってしまっているけれど、果たしていま社会に定着しているWebサービスってそういう課題解決しようなんて目線があったのだろうか。本当はもっと"楽しい"とか"こうあるべき"っていう感情があったのではないかなと思う。当然時代が違うので並列には比べられないけれど、もっと楽しい駆動で考えてもいいのではないか

 もっと弱さと向き合う

いまの社会はポジティブでキラキラした言葉にあふれている。自己啓発書もネット記事も愚痴を言うな・悪口を言うなの大合唱。でもどんなに言葉で取り繕っても心の中に後ろ向きな気持ちがあるがあるのが普通のことだ。

テニス漫画『ベイビーステップ』にこんなシーンがある。 主人公のコーチはプロ時代に大怪我から復帰後、試合に勝てなくなって引退した。怪我の後遺症があったわけではなくむしろ「大怪我を乗り越えたことでもっと強くなった」と自分で思っていた。でも本当は不安な気持ちがあったことに気付かないで精神のバランスを崩して勝てなくなっていったのだと。正確には覚えていないがそんな話だ。

世界とか努力だとか問題解決だとかがキーワードになりすぎていると思う。あるいはエンジニアが淘汰される〜的なあおり言葉。そういう現実から浮いた話ばかりするよりも、いまある自分の環境でいかに楽しさや成長の鍵を探すかってことのがよほど重要だと思う。 

威勢のいい言葉は一度脇において自分を見つめること。成長はきっとそこにある。